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蚊の鳴くようなビリーの「助けて」が聞こえたのは、クレタが再度部屋の近くまでやってきた時だった。
「どうしたー?」
クレタが部屋の扉を開けると、そこにいたのは床に寝転がっているビリーと、それに抱き着いたままよだれを垂らして寝ているグレースだった。
「……おいおいおい、一体何があったんだ?」
クレタが手を貸しビリーの上半身を起こしたが、それでもまだグレースは彼に抱き着いたまま眠りこけている。
「なんか知らねーけど、子どもたちを思い出すから俺に抱き着いていいかって言われてよぉ! まあちょっとくらいならって思って許したらそのまま寝ちまってもう一時間も俺は床に張り付いたままだったんだぜ!」
「ああ……ここのところ寝てなかったみてーだからな。息抜きの為にあんたを弄ってて程よく緊張の糸が切れたんだろ」
「俺様これでも精密機械! 息抜きで弄るような体じゃないってーの!!」
「いやー、ははは、そりゃ悪かったよ」
クレタはそう言って笑ったが、ビリーに抱き着いたまま眠るグレースを見て困ったように微笑んだ。
「ったく人のことガキ扱いするくせして……自分こそガキみたいな寝顔じゃねーか」
ふにゃ、と緩んだ頬が幼い子を連想させるグレースの表情は、いつもの様子からは垣間見ることのないものだった。
しばらくその寝顔を眺めていたクレタだったが、一呼吸おいて手に持っていた紙束を丸めてグレースの頭を勢いよく叩く。
スパーン!
「いっ……たぁ……? なんだい、今何が起きて……」
「おいこらグレース! お前は客人そっちのけで何やってやがんだ! 寝るならベッドに行け!」
「んん……え? 何? 私は今彼の修理を……」
「どこが修理だ馬鹿! さっさと起きろ!」
クレタに急き立てられるようにして起き上がるとグレースはしばし困惑した頭で修理のチェック表を確認していた。
グレースに聞こえないようにか、少し小声でクレタはビリーに話しかけた。
「悪いな。でももしこれからも眠そうにしてたらよ、ちょっと体貸してやってくれ。あんたがいりゃぐっすり眠れるみてーだし」
「俺は安眠枕じゃねーっつーの!」
「ははは、安眠枕! あ、でもそうか……あんたがいて眠れるなら、修理はここじゃない方がいいんじゃないか?」
「え? そりゃどーゆーことだよ」
ビリーの問いにクレタは答えない。代わりにグレースを見て、うん、と一つ頷いた。
「いいこと思いついたぜ。それじゃ、さっさと片付けろよ姉貴~」
「え? ああ、わかっているともクレタ」
グレースの声を背で受け、クレタは部屋を出ていった。
そして廊下を歩く社員たちの横をすり抜けながら鼻歌を歌い始める。
「――こりゃ確かに『息抜きにもなってさらには良く眠れる』だな」
あとでアンドーにお礼言ってやるかぁとクレタは笑いながら廊下を歩いていった。
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