ヒミツの有給休暇 - 4/8

 ***

 ――1時間後、ジェーンが戻ってくると項垂れたように椅子に座っているセスがいた。セスはジェーンが戻ってくるのに気が付くと、慌てて立ち上がり、ぴしりと姿勢を正す。

「あらぁ、いいじゃない」
「お着替えになった服はこちらに入れておりますので」

 店員の男性からショップバッグを受け取ると、ジェーンはにこやかに「ありがと」とクレジットカードを手渡した。

「し、支払いは俺が!」
「いいわよ~気にしなくて」

 そうあしらわれると、セスは何も言えずにそのままそこに立ち尽くしている。手続きが終わりジェーンが「行くわよ」と声をかけると、セスは慌てて横に並んで歩き出した。
 エレベーターホールに着くまでの間セスはしきりに自分の身なりを確認していた。

「……俺、スーツなんて着たの治安官の試験以来かもしれません」
「そうよねぇ、治安官さんはいつも制服だし」
「でも、これはなんか……浮いてません?」

 鮮やかなブルーのスーツ、ネクタイは締めずにワイシャツのボタンは上からいくつか開いている。デートならば、と店員さんが問答無用で私物のワックスで前髪を上げ、いつものセスとは様相が違っている――。

「あら、似合ってるわよ?」
「いやまあこの色はだいぶしっくりくるなとは思ってますけど……じゃなくて! こんな格好してどこ行くっていうんですか!?」
「そうねぇ~、とりあえず慣れてもらう為にも街中でもぶらつこうかしら?」
「は!?」

 エレベーターに乗り一階まで降りると、ジェーンはひょいとホールに降り立ち先を歩いてちょいちょいっとセスを手招きした。
 彼女の着ているワンピースは膝丈のもので、前から見る分には体のラインは強調されているもののいくらかしおらしく見える――が、後ろから見ると背中は大きく開かれその上を赤く長い髪がゆらゆらと揺れて色気を隠そうとせずにいる。

「……目のやり場に困るんだよ」
「あらぁ、それなら後ろに立たなきゃいいじゃない」
「……聞いてたんですか」
「聞こえてるわ。アタイ、耳はとってもいいの」
「もう何も言いません」

 セスの様子にジェーンはとても満足そうに笑った。そんな彼女を見てセスは諦めたように隣へ並ぶ。二人はファッションビルを出た。空は陽が落ちてきて、もうすぐ夜だ。

「そういえばアンタに聞きたかったことがあるんだけどー……」
「なんです?」
「ジェーン、って、もう呼んでくれないの?」
「えっ?」
「ほら、アタイたちが初めて会った時。あの時はアタイのこと……ジェーン、って、呼び捨てで呼んでたじゃない」
「そ、それは! ……先輩のことを、知らなかったからで……」
「呼んでほしいの」
「!」
「それが、今のあなたの任務よ」
「…………えっ、任務?」

 甘美な声に困惑したものの、セスは任務という言葉に我を取り戻した。

「言ったでしょ。アンタはアタイの秘密捜査のカモフラージュの為に連れてくって」

 ゆっくりと瞬きをすると、ジェーンは尻尾の先でセスの腰を撫でた。

「アンタは今からアタイの恋人。付き合ってからはー……そうねぇ、まだ一週間ってとこかしら」
「こ、恋人っ!?」
「あらできない?」
「で、できませんよそんなの!」
「これが治安局にとって重要な任務だとしても……アンタは断るのかしら」
「そ、それは……」
「ふふっ。何も難しいことはないわ。アタイと二人で街をちょっと歩いて、とあるクラブに入り、すこーしお酒を飲みながら会話をしてくれればいいだけ……ね、簡単でしょ?」
「それくらいなら、まあ」
「じゃあできる?」
「できます」
「ならよかった。さ、それじゃあ行くわよセス。アタイのことちゃんとリードできるかしら?」
「……し、してみせますよ!」

 そう言うとセスは、「付き合いたて、恋人だから……えーっと、ぎこちなくても多少はいいよな」とぶつぶつと独り言を言い始める。

「ジェーンせんぱ……っ、えと、ジェーン」
「ん? なぁに?」
「手を、どうぞ」

 左脇を少し開けるようにするセス。ジェーンは意図を組んでセスの左腕に右手を添えた。

「いいわ、恋人らしく見えそう」
「そ、それならよかったです」
「あらぁ? 敬語も無しよ」
「っ……~~~~! わ、わかった!」
「そうそう、その調子♪」

 ジェーンが褒めてやると、セスは顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
 二人が街を歩き始めると、その様相に興味が惹かれるのか、道を行く人たちが振り返っては何事か話していた。そんな周りの様子にも慣れないのか、セスは居心地の悪さに叫びだしたくなる。が、心の中で(耐えろオレ、耐えろ……!)とひたすらに念じていた。

「あら?」

 少しわざとらしい声を上げて、急にジェーンはセスの腕を離して店のショーウインドウに近づいた。セスが看板を確認する。名前だけではわからなかったが、ショーウインドウに並ぶものを確認すればどうやら高級化粧品店のようだ。ジェーンはそのうちのリップを指差す。

「見て、これすっごくかわいいわ。あん、こっちも素敵。ねぇセス、どっちがいいと思う?」
「ええ? ど、どっちでもいいんじゃないか……?」

 急な問いにセスはぎこちないながらも恋人らしく振舞おうとした、が、ジェーンは口元に両の人差し指で×印を作った。

「どっちでも? それは不正解の回答よ」
「不正解!? う、ううーん……でもオレ、口紅なんて使うことないし……」
「あらあら、こういう時はね、こう考えればいいのよ」
「?」

 ジェーンの尻尾がセスの頬を撫で、唇をちょんとつついた。

「アタイの唇にはどんな色が似合うのか。そして、どんな色なら自分は興奮するのか、どんな色を、その唇から奪ってみたいか。そう考えて答えればいいの」
「……っ!? そ、そそそそんなこと考えられませんよ!」
「ふーん? これじゃあ恋人の偽装は無理ねぇ」
「えっ!?」

 ジェーンは残念そうに手を後ろで組む。

「セスならいい仕事してくれると、思ったんだけど」
「……に、任務はちゃんとこなしてみせますよ。でも、口紅を選ぶのは、その……」

 セスは気まずそうに下を向いている。そんな彼の様子を見て、ジェーンは眉根を下げて笑った。

「……そうね、それは本物の恋人にしてあげたらいいわ」
「恋人なんていません」
「あら、そう?」

 ショーウインドウから離れ、先を歩き出したジェーンをセスは慌てて追った。

「は、離れるなよ」
「ん?」
「目のやり場に困るって、言ったろ」
「ふふっ、初心で可愛いわね。そういうところ……アタイは好きよ」
「………そういう、設定なのか?」
「そうね、そう思ってくれていいわ」

 ジェーンが目を逸らす。セスは奇妙な感覚を覚えながらも、「そうか、付き合ってまだ一週間、の設定だっけ」と呟いた。

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