<4>
夜も更け、外を走る車もまばらになった頃。二人は最初に待ち合わせた場所まで戻ってきていた。
「――はあ、まさかフロアでもヤッてる連中があんなにいるなんて」
セスはそう呟きながら、個室から出てフロアを抜けるまでの間の出来事を思い返していた。が、すぐにブンブンと頭を振ってその視覚情報を霧散させた。
「どうだった? 今日の秘密捜査は。刺激的な休暇になったかしら」
ジェーンにそう問われてセスは少し複雑そうな顔をする。
「刺激的……まあ、そう、ですね、こういった捜査も必要なのかと身に染みました。普段の治安官の制服を着てたらあんなやり方はできませんから」
「ま、そうね」
「あの、オレ今日かなり汗かいたんで、やっぱりこのスーツ代は――!」
「あぁ、いいのよ。これもちゃんと経費として提出するわ」
「経費……それならスーツはクリーニングしてお返しします」
「アンタにぴったりなサイズのスーツを、他に誰が着るっていうのかしら?」
「えっ……と、それは、まあ、オレぐらいの身長で筋肉質な男は……その、他の治安官にもいなくもないというか」
「その他の治安官が、アタイのこと知ってるとでも?」
「あっ、そうか……」
「いいのよ、そのまま着て帰りなさい」
「こんなん着て官舎に帰ったら何言われるかわかりませんよ!! 普段のオレを知ってる奴らならこんなの着ないってわかりきってるんですから!」
「いいじゃない、素直にデートだったって言えば」
「デッ、だっ、それは、いや」
口ごもるセスに、ジェーンは下からじっくりと顔を覗き込む。
「それとも極秘の任務だった、なーんて本当のこと言うのかしら? その方が信じてもらえないでしょうけど」
「なんでですか」
「ワイシャツの首元、アタイのリップがついてるわよ?」
「……!! いつの間に!?」
セスは慌ててシャツを引っ張って首元を見ようとする。赤色がついたそれを見て「うわあ!」と悲鳴を上げた。
「ま、精々誰にも会わないように帰ることね~」
「ジェーン先輩!!」
「今日の働き分はちゃんとお駄賃が出ると思って。ほら、有給休暇なんだから。――純情な坊やには合わない任務だったかしらね」
「……な、なんですか?」
小さな呟きはセスには聞こえない。ジェーンは肩を落とすと首を振った。そしてひらひらと蝶の羽ばたきのように手を振り、暗闇に溶けていく。一度瞬きをしてしまえば、もうそこに彼女はいなかった。
「……行っちまった」
セスは茫然として噴水の縁に腰を落とし、大きなため息を吐く。
「こんな任務、初めてだ……」
すると思い出したように上げたままだった前髪をぐしゃぐしゃと掻き毟り、下ろす。そうしてようやくいつもの自分に戻れた気がしてほっとした。
「ジェーン先輩は……いつもこんなことばっかしてんのかな。犯罪行動学の外部顧問……って言ったっけ。顧問はわかるけど、それって自ら現場に出て動かなきゃなんないのか? しかもあんな場所……。いや、先輩が強いのはわかってる。だから危険な場所に行くこと自体を心配する必要はそこまでない、と思う、んだけど」
ほんの少し前の記憶がまざまざと蘇る。
薄暗がりの席の中、
上がっていく温度と湿度、
吸い込まれるような目つきが、
男の欲情を煽るような表情が、
『――っ、ふ、セス……っ』
ぞわぞわっ、と全身が総毛立ち、尻尾がビンッと立ち上がった。
「ん゛んっ……ああいうのは、良くない、な。……はあ……オレにしたようなこと……きっと今までもしてきたのかな。そりゃまああの人は仕事の為ならオレ以外の誰とでもするだろ」
ジェーンが自分の知らないところで、あらゆる場面で、何者かに対してそういう態度を取っていることを想像してセスはしばらく呼吸を止めていた。
「いや……してほしくないな」
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます