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──風が吹く。心地良い風。
いつもはこれが自分の中のごちゃごちゃにないまぜになった感情を掻っ攫ってくれ、悠真は自分の純粋な心に立ち返ることができる。
「なんでかなー……」
彼はこっそり上った灯台の上で、遠くを眺めていた。
ここに来ればどんな悩みも吹き飛ぶのだ。
そう、
『どうせすぐ死ぬんだからそんなこと考えてたって仕方ないさ』
と。
ただ、今はそれだけで片付けられない内心に頭を掻き毟りたくなる。だからこうして高いところから広い海を見渡し、自分のちっぽけさをあざ笑う。
今日も今日とて定時で退勤をしてきた悠真は、すぐに自宅へ戻ることなくポート・エルピスへとやってきた。夕焼けに染まった港は、釣りを終えた人々や船仕事を終えた人々の声で賑わう。またポテトを食べる客で賑わう声も。それらを上から見下ろすようにして、いや、それらから隠れるようにして、悠真は一人灯台の上で潮風に揺られている。
ここ数日仕事に明け暮れ随分と疲れてしまったのだが、そんなことは然程重要ではなかった。むしろ、仕事で忙しくしていれば頭の中のものを考えずに済むのである。
──例の《後輩》だが、仕事はきちんとしている。
蒼角への感情は置いておいて、優れた執行官であることに間違いはないのだ。後輩指導をする過程で彼を邪険にするようなことはしていない。むしろ良い指導をしていると言ってもいいくらいだ。ただ、彼と接するたびに悠真の中の感情はどす黒くなっていく。
「……その真っ黒な中心に一体どんな理由が潜んでるのか、僕自身もわからないってのに」
手すりを掴んだまま、ずるずるとしゃがみこんでいく。
気味の悪い感情に包まれる。
(こんな自分、誰にも見られたくない)
吐き気すら覚える中、カン、カン、という音が聞こえてきた。誰かが階段を上ってきているのだ。悠真はとっさに立ち上がり、何でもないように装った。がちゃ、とドアが開く。足音は、こちらへと向かってきた。
「ハルマサ、見ーっけ!」
「……蒼角ちゃん?」
驚きのあまり、目を丸くする。だがすぐににこりと笑みを作った。
「どうしたの~? こんなところまで。蒼角ちゃんも夕焼けを眺めに来たの?」
「ううん、ハルマサ探してた!」
「……僕?」
蒼角は嬉しそうな顔で駆け寄ってくると、悠真の隣に並ぶ。
「最近ハルマサに全然会えてないから、どうしたのかな~って。あ、ちゃんとお仕事してたのは知ってるよ! でもなんか、なんか変だなぁ~って」
「変、って?」
「あ、ううん、気のせいかもしれないから!」
「……そう」
悠真の顔を見た蒼角は、ほっとしたようにすると夕焼けを見つめた。
「あのねあのねー、こないだできたコーハイと、今日会ったの!」
「え」
「それでね、連絡先はコーカンできないのごめんね~って言ったら、なんかすっごくヨソヨソしく……? してて、どうしたの、って聞いたらね、なんか、『アサバセンパイって、すごく怖いかたなんですね』って言ってたんだよ! ハルマサ全然怖くないのにね!」
「……はは、そっか。いやーそれはさ、僕指導員だもの。ビシバシ指導してたらこわーい先輩だって思っても仕方なくない?」
「あ、そっかぁ~。でも蒼角、ハルマサに怒られても怖いって思ったことないけどなぁ」
「そこは怖いって思ってよ!」
「え!? あ、あ、そっか! ごめんなさ~い!」
わ~んと泣きまねをする蒼角に、悠真はツッコミを入れるように頭をぽすっと叩いた。
「……えへへ、ハルマサ元気だ」
「えっ?」
「なんかハルマサ、元気ないのかなぁ~って。でもいつものハルマサで安心した!」
「僕は……いつも通りだよ。何言ってんの」
「蒼角のカンチガイだった~。あははは」
「蒼角ちゃんは元気?」
「元気だよ! お仕事もりもり頑張って、漢字もいっぱい覚えて、たーくさん絵も描いたんだ! あ、ハルマサの絵も描いたよ~明日あげるね!」
「それは嬉しいなぁ、ありがと。……ふふっ」
思わず、吹き出してしまう。
そんな悠真を見て蒼角は首を傾げた。
「え、なになに? どしたの~?」
「いや、蒼角ちゃんはほんと、可愛いなぁと思って。妹みたいっていうかさ。いや、むしろ娘みたい?」
「ええー!? わたし、ハルマサのいもうとでもむすめでもないよ!?」
「いやいや、傍から見たらそれぐらいの年齢差に見えるって」
「ねんれいさ……? そっか、人間でかんがえればー……蒼角、ハルマサのお母さん!? あ、おばあちゃん!?」
「いやいや、見た目の話だから」
可笑しそうに笑う悠真に、蒼角はぷくぅと頬を膨らませた。
「ハルマサは蒼角のお兄ちゃんじゃないもん」
「ええ~? いいでしょ別に、呼んでごらんよお兄ちゃんって。ハル兄でもいいよ?」
「呼ばないよぉ!」
「なんで~? ほら、副課長がお姉ちゃんになれるんなら僕もお兄ちゃんになれるって。それに、僕を描いた絵なんかもらっちゃうとさ、そりゃあもう父親な気持ちっていうか~」
「ううー……でも、ハルマサはもっと子どもだよ? 蒼角とおんなじ!」
「ええ? いや、これでも僕大人なんですけど」
思わず苦笑する。
ぽりぽりと頬を掻く悠真は戸惑いつつ蒼角を見た。
「そりゃ蒼角ちゃんと生きてる年数は違うだろうけどさぁ」
「ううん、そじゃなくてね、えーっと……なんていうかそのぉ……ハルマサ、時々小さい子みたいな目してるもん」
「…………えっ?」
蒼角の目が、悠真を射貫くように見る。
緩やかだった悠真の心臓が、どっと急激に波打った。
「なんてゆーのかな、
うーんとね、
すごく、
不安そうっていうか……
誰にも置いてかないでほしいっていう目、
怖いよって目、
してる。
わたし、
その目知ってるもん」
「……あ、はは、は、いや、何?」
「わたし、ハルマサが、時々小さい子に見える」
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