#6 食われ尽くした結果 - 2/4

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 僕が階下に降りる頃には全ての支度が終わっていて、あとは店の扉にかかっている『CLOSE』の札を『OPEN』に裏返すだけだった。リンは先ほど言っていた通り出かける準備をしていて、いつの間にか新しく塗り直した指先のネイルに気分を良くすると花が咲いたように笑った。

「今日はカリンと一緒にケーキビュッフェに行くんだ~♪ なんかね、新しいケーキ作りに挑戦したいみたいで、どんなのがいいか研究中なんだって! あー、私もカリンの作ったケーキ食べたいなぁ~。絶対美味しいよね!」
「うん、そうだね。それじゃ、リンはルミナスクエアの方まで行くのかい?」
「そのつもり! あ、何か買ってきてほしいものとかある? そういえばこないだ行った時はおみやげ買ってきてあげられなかったもんねぇ……ケーキ買ってきてあげよっか!」
「うーん、どちらでもかまわないよ。僕はリンほど甘いものに目がないわけじゃないからね」
「ええ~? お兄ちゃんだって甘いの好きじゃない。あ、それならこないだSNSで見たお店が――」

 楽しそうに話す妹、微笑ましいはずなのに、歌うように音が飛び出るその唇が気になって見つめてしまう。あんな夢を見たせいだ。思わず目を逸らす。

「それじゃ、行ってくるね!」

 リンは軽やかな足取りで<Random Play>を飛び出していった――。

 ビデオ屋の開店すぐはほとんど暇に近い。
 だからその時間帯になるべく事務や雑事をやっておかなくては。プロキシ業がもっぱら夜間に忙しくなるのだから時間の使い方に頭を使わなくてはいけない。

「少しでも整理しておけば、僕の休みも作れそうだな」

 休みに何をしようか考えながら、数字を目で追い、パソコンに打ち込んでいく。必要な書類をケースから引っ張り出して、それから今月の売上比率を計算して。

『あーん、もう全然終わんないよぉ~!』

 ――ふいに、先日リンが事務作業をしながらぼやいていたことを思い出す。

『お兄ちゃん全部やってぇ~』
『お兄ちゃんはこっちの仕事をやってるんだよ。僕がそれをやるのなら、リンは一体何をしてくれるっていうんだい?』

 ――イタズラに返せばむくれた横顔が見えた。

『じゃあ私にしかできないことしてあげるよ』

「……っ!?」

 頭の中の過去の記憶が、突然艶やかな妄想に切り替わる。

『お兄ちゃんが頑張ってくれる分、私も頑張ってあげる』

 これは今朝見た夢だ。
 このあとリンがデスクチェアに座る僕の股の間に腰を下ろして、
 僕の脚に触れるんだ。

「はあ……」

 映像を遮断させようと、僕は頭を抱えた。
 しばらく瞼の裏に映り込んでいた恐ろしいまでに瞳孔の開いた妹は、ぼやけて次第に消滅していった。

 ここ最近、いろんなことがあったせいで変なことを考えがちだ。

「トラビスさんと話した日から、おかしかった」

 極め付けはこないだの<兄妹モノ18禁映画>のあらすじをふたりきりでくまなく探してしまったせいだろう。
 両親が失踪し、親戚連中からは疎まれ、地域からも噂話のネタにされ、社会から疎外されたような寂しさのせいで近親相姦に至ってしまう兄妹の稚拙さと重苦しい愛の成す様をしばしばワンカットを挟みながら読み込んでしまったせいで頭の中はインモラルな妄想でいっぱいだ。もちろん健全な男子たる僕の身体も浮かれたように反応してしまってみっともない。忘れよう。あれがアンビーの知識欲、いや映画欲を満足させられたことを祈る。そして二度とそういった依頼が来ないことも切に願う。

『ねぇ、お兄ちゃん』

 夢で聴いた問いかけが、脳裏を掠める。

『ほんとはこういうこと、望んでたんでしょ?』

 ねっとりとした甘い、女の、声。

 リンはこんな子じゃない。
 何かの映画のシーンと勘違いしてるだけだ。

 たくさんたくさんたくさんたくさん映画を観てきた。
 全てが僕の知識となり脳のキャパシティを埋め尽くす。
 そのせいなんだ。

 新しいものも、
 古いものも、
 今も、
 旧時代も、
 浅はかで、
 崇高すうこう で、
 静穏せいおん で、
 喧騒けんそう で、
 卑俗ひぞく な、
 高雅こうが な、
 憐憫れんびん な、
 敬虔けいけん な、
 様々な時代と背景と環境と原理と現象と法と規則と生物と感情と衝動と欲求。

 全部が混ざり合って
 一際迷惑な勘違いを起こしている。

 僕という人間が映画に食われ尽くした結果だ。

 ここまで考えて思わず笑ってしまう。
 映画というモンスターに脳みそを食われた結果壊れて妹に手を掛ける兄、B級映画にも程がある。

「僕はそんなに汚くリンを愛しちゃいない……はずだ」

 何かを吐き戻しそうになる。
 まだ何も食べていないのに。
 果たして僕の口から出てくるものは一体何だろう。
 
 渇望する熱?

 すが りたくなる慈愛?

 妹への淫らで蠱惑こわく 的な衝動?

「……っうぷ」

 そうだ、閉じ込めてしまおう。

 喉につっかえて出てきてしまいそうなものなら、ふた を閉じよう。
  にも何度、、 もそうしたじゃないか。
 深く深く深く気持ちを穴の底へと落っことして、
 見えなくなったその上に頑丈な蓋をするんだ。
 次はその気持ちが顔を出したりしないように。

 ……その気持ち?

 その気持ちって

 なんだろう。

 明確な名前がつくはずのそれが、ぼやけて頭の隅でくすぶ っている。

「……今日の夕飯、ラーメンでもリンは怒らないかな」

 ぽつりと呟けば
 何となく頭の中がクリアになった気がした。

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