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――タタン、タタンタタン。
地下鉄の音が繰り返される。うっすら開けた目に真っ黒な窓が映し出される。そこに僕が映る。この時間の乗客は少なく、隣二人分離れたところに一人二人座っているが、目の前には誰もいない。
――タタン、タタンタタン。
眠気を少し感じながらも、目的の駅に着く頃には不思議と眠気は消えていた。
地下鉄を降りて、右左と顔を動かす。
「えーと、こっちの改札から出た方が近いんだっけ」
いつもはリンの付き添いで行く店に、僕ひとりだけで行くのは初めてだった。
地下鉄の階段を上り、改札を抜ければ、久しぶりに感じる陽の光を浴びて目を細める。外を歩き回るより家の中にいる方が僕には合う。けれど、確かに運動不足はなんとかしないと。時々街で会うアンドーさんなんか見ると、筋骨隆々としていてすごいなと思う。ああなりたいか、と言われると……まあそれは少し話が違うわけだけど。
「ビデオ屋の店長にその筋肉は必要ないはず」
と、自分に言い訳をする。
言い訳といえば。
昨日リナさんに「幸せになる為にはまず対話が必要」と言われたことで……リンに言わなければいけないなと思っていた。
僕の――この上なく醜い欲について。
もし、拒絶されれば、きっと僕はその苦しみから解放されると思うんだ。抱いてはいけない感情だ、と妹に現実を突きつけられることで、安心してその感情を手放せる気がして。もちろん……リンとの関係も今まで通りとはいかなくなるだろうけど。それでも、ギクシャクしてしまうくらいなら耐えられる。僕は。
……リンは、耐えられるだろうか。
僕が理想の兄でなくなって、
近寄りたくもなくなって、
心の拠り所がなくなれば、
……きっと壊れてしまうに違いない。
そんな風に考えると、結局言い出すこともできず。
リンが話し始めた時も、体 よくかわしてしまった。
『僕はこれまでも、これからも、リンのお兄ちゃんだからね』
――なんて。
逃げたんだ、僕は。
「……これ、かな。リンに頼まれた弦は」
楽器店の中――たくさん種類がある中の一つを手に取って、商品名を確認する。メモ紙に書かれたリンの可愛らしい字を見つめる。
いくつか頼まれたものを手に取ると、レジへと持っていった。お金を用意している間、遠くで何か騒がしい声が聞こえた気がした。
「……?」
店員さんも不思議そうに窓の外を見る。
たくさんの走っている人が見えた。
僕はお釣りを受け取ると、少し足早になって楽器店の扉を開ける。
聞こえてきたのは――悲鳴。
人々が逃げ惑う様が、視界いっぱいに広がる。
右端から近寄ってくるものに、僕は見覚えがあった。
「……嘘だろう」
――瞬きをする間もなく、そのブラックホールに僕も飲み込まれていった。
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