「私、大きくなったらお兄ちゃんとけっこんしたい」
隣に座る幼いリンが、足を抱えたまま寂しそうに言った。
僕も同じように膝を抱えてそこに座っている。
――これは、幼い頃の記憶だ。
近所の子どもたちと一緒にかくれんぼをしていた時の記憶。建設途中で放棄された敷地の中で、大人たちには内緒にしてそこで遊んでいた。僕たちはいつも二人同じ場所に隠れていて……その日は置きっぱなしになっていた大きなゴミ箱の裏に二人で座り隠れていたんだ。
「結婚?」
「うん。だってね、みんな、大きくなったらお兄ちゃんと一緒にいれないって言うの」
「どうして?」
「大きくなったらね、いつかけっこんして別々に暮らすんだって。私も、お兄ちゃんも」
「そうかぁ」
「だからね、私とお兄ちゃんがけっこんしたら、一緒にいられるよ! そうでしょ?」
「そうだね」
僕の方が年上とはいえ、幼い僕も結婚についてはあまりよくわかっていなかった。
「お兄ちゃんは、私じゃない人とけっこんしたい?」
「うーん、考えたことないな」
「じゃあ私とけっこんしてくれる?」
「そうだなぁ……リンが望むなら、僕はリンと結婚するよ」
「やったぁ! あ、でも……けっこんはお兄ちゃんと妹じゃできないんだって」
そうなのか、と驚くと同時に少しむっとした。
「誰に言われたの?」
「学校の子」
「結婚式が上げられないってことかなぁ」
「わかんない……」
「じゃあここでさ、内緒で結婚式しちゃおうよ。ここなら誰にも見られないし、誰にも怒られないよ」
「……ほんと?」
僕の提案に、幼いリンは目をまん丸にして聞いた。
「うん、ほんと」
「でも私、けっこんのちかい、って、なんて言えばいいのか知らない」
ちかい
誓いか。
僕はしばしの間上を見上げて考えた。
「それは僕も知らないなぁ……」
「………」
「………じゃあさ、僕たちだけの誓いを考えて決めよう」
「私たちだけの、ちかい?」
「うん。そうだなぁ、えーと……」
ちょっとだけ体をリンの方に向けて、リンの両手の先を握った。
「僕、リンのお兄ちゃんであるアキラは『大好きなリンの嫌がることは絶対にしません』『いっぱいいっぱい優しくします』あ、でも『時々リンの為に怒ったりもします』んーと、とにかく『リンが好きなお兄ちゃんでいつづけることを誓います』!」
「……私の好きなお兄ちゃんで、い、つづけ、る?」
僕の言ったことを、まだ半分も理解してないと言うように、リンは首を傾げた。
「さあほら、次はリンの番だよ」
「ええと、ええとねぇ……」
舌ったらずなリンの声が、困ったように小さくなっていく。
「私は……私は、お兄ちゃんが、ずっとずーっと私を好きでいてくれるように、がんばります!」
「……あははっ、何だいそれ」
「だってお兄ちゃん、いつか私以外の人とけっこんしたくなっちゃうかもしれないもん」
「そんなことないよ」
「本当? ちかう?」
「誓ってもいいけれど、僕たちはこれからずーっと一緒なんだから、そんなことありえないだろ」
「ほんとかなぁ」
「疑り深い妹だなぁ」
僕が笑うと、握っていたリンの手に、きゅっと力が入った。
「……あ、じゃあね、あれしよ! ちかいのキス!」
「おやすみのキスみたいに、ほっぺに?」
「違うよ! ちかいのキスは口にするんだよ、知らないの?」
「結婚式って行ったことないから」
「私、テレビで見たことある!」
「ドラマかい?」
「そう! お口にキスしたらね、みんながいっぱい拍手してお祝いするんだよ!」
キスをしたら
拍手をする
想像してみて、首を傾げた。
そういうものなのか、と。
「うーん、今は僕たちしかいないから、お祝いはしてもらえないけど」
「するの!」
「ええ?」
突飛な妹の発言にはいつだって驚かされるけれど、僕はこの時今までで一番驚いたと思う。
リンは手を離したかと思うと、
僕の両頬を挟むようにして、
僕の唇にちゅっとキスをした。
「!」
目を丸くする僕を置いて、リンはすぐに離れてぱちぱちと静かに自分で拍手をする。
幼い僕はきょとんとしながらも、妹に倣 って小さく拍手をした。
「これでけっこんできた?」
「できたかも」
「じゃあ、もうお兄ちゃんは一生私のお兄ちゃん!」
「あはは、それを言うなら、えーと……夫、じゃないかな?」
「おっと? オットセイ?」
夫、がなんであるかをいまいち説明できず、僕は苦笑した。
「えーと、結婚をしたらね、とにかく夫と妻になるんだ」
「何それぇ。違うよ、私たちお兄ちゃんと妹だもん」
「うーん……」
「いいの! ずっと大好きでずっと一緒にいる『お兄ちゃん』がいい」
「ん……そうか、そうだね。リンも、ずっと大好きでずっと一緒にいたい『妹』だよ」
霞んでいく、幼い妹の笑顔。
記憶が、まるで映画のフィルムみたいに色あせて、遠く、小さくなっていく。
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