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抱き着いたまま微動だにしない悠真に、蒼角は落ち着きを取り戻していた。
(いつものハルマサだったら絶対こんなことしないもんね、きっと子どもになっちゃった夢でも見てるんだ! わたしももっと小さい頃は怖い夢を見た時はねえねにこうして抱きついてたなぁ~……)
遠い思い出を懐かしんでいると、悠真の頭が動いた。起きたのだろうかと表情を覗き見ようとする、だが隠れていて見えない。そのうち、頬擦りでもするように悠真の顔と蒼角の胸が擦れた。
「んひゃっ!?」
くすぐったさに思わず声を上げてしまう。悠真の腕の中から出ようともがく。しかし力が強く、蒼角が本気を出さない限りは抜け出せそうにもない。
「は、ハルマサ~? くすぐったいよぉ……」
「……きもち、い」
「ふぇ?」
「おっぱい、やらかくて、きもちいい」
蒼角の小さな胸に埋もれながら、くぐもった声が聞こえてきた。しばしの間悠真の頭を見つめていた蒼角だったが、みるみるうちに顔を赤くしていく。
「あ、え、は、ハルマサ、何言ってるの……!?」
「………」
悠真は黙り込んだまま、蒼角の胸にすりすりと顔を埋める。
「ハルマサ、壊れちゃった……!? どどど、どうしよう、もしかしてお熱出たのって、何かのビョーキ!? ハルマサ、変なビョーキにかかっちゃった!?」
あわあわと蒼角は一人困惑しているが、とあることをハッと思い出す。つい先ほどのビデオ屋での会話──蒼角が悠真に聞いたあのことだ。
『え~? じゃあじゃあ、ここにあるビデオの中でどのじょゆうさんがタイプ?』
『タイプ?? ……ううーん。……あ、あの女優さんとか綺麗だよね~。それにおっ──』
おっ
(おっ、て……もしかして『おっ』って! ──きっとおっぱいだ……!?)
蒼角は愕然とした表情になった。
そして今一度幸せそうに頬擦りをしたままの悠真の頭を見つめる。
(ハルマサもしかして、夢でおっきなおっぱいのじょゆうさんにでも抱きついてるのかな!? もしかしてそうなのかな!?)
はわわわわと蒼角は戸惑う。これはもしかしたら起こした方がいいんじゃないかと。しかし起こしてしまえばきっと悠真がこの事実を知ってすごく恥ずかしくなってしまうんじゃないかとも思う。
(蒼角も、夢ですっごくおいしそうなメロンがあったからかぶりつこうとしたら、ナギねえのおっぱい食べようとしちゃったっていうすっごく恥ずかしいことあったもん!! あの時はナギねえに引っ叩かれて起こされたんだったよね……)
恥ずかしいと共に、柳のとてつもない恐ろしい顔も思い出し、蒼角はぶるると震えた。
(お腹減ったまま寝ちゃったからあんな夢見ちゃったんだっけ……じゃあ、ハルマサはおっぱいが足りなくてこんな夢見ちゃってるってこと!? え!? どういうこと~~~!?)
ぐるぐるとわけのわからないことを考え、蒼角は顔を真っ赤にしたままぶんぶんと頭を振る。とにかく彼を起こそうと蒼角は心に決めた。
「うう、わたし、ハルマサが好きなおっぱいおっきいじょゆうさんじゃないよ~~!! 蒼角だよ~~~!!」
普通に起こせばいいものを、蒼角はそう口走ってしまった。するとぴくりと悠真が反応した。頬擦りもやめたようで、蒼角はほっとする。
「ハルマサ、おきた……?」
「んん……」
ぼんやりとした顔が蒼角を見上げる。虚ろな目は、未だ起きているとは言い難い。
「ハルマサ、ちゃんと寝てないとだめだよ! ほら!」
蒼角はどうにか悠真をベッドに押し戻し、寝かせた。一仕事終えたようで「ふう」と一息つきリビングへ戻ろうかと思ったが、蒼角はまだ悠真が自分を見ていることに気が付いた。
「………」
「……?」
熱に浮かされた虚ろな目は、瞬きもせずそこにある。
蒼角は彼がまだ寝ぼけていることを理解し、腰を下ろした。
「……蒼角のおっぱいちっちゃくてごめんねぇ」
少し恥ずかしいが、まだ悠真の頭が寝ているからと思い蒼角はそんなことを言う。ついでにつんつん、と自分の胸を人差し指でつついてみた。大きくも柔らかくもない。押せば硬い骨にぶつかる。蒼角の周りには胸の大きな人がいっぱいいる為、どうしても自分の胸が小さいとしか思えないのだ。蒼角は苦笑いをした。
「……い」
「ん?」
悠真の口が動き、蒼角は耳を傾ける。
何を言ったのか聞き取りにくく、彼の口元に耳を寄せた。
「なぁに、ハルマサ」
「もっかい」
「?」
「もう一回」
「え!?」
驚く蒼角だったが、悠真の潤んだ瞳はあまりにも子犬のようで『ダメ』と即答することもできず口をぱくぱくとさせてしまう。
「……わ、わわわ、わたしのおっぱいじゃだめかもよ!? じょゆうさんじゃないよ!?」
「蒼角がいい」
「へ!?」
「……蒼角」
熱い息と共に名前を呼ばれる。
蒼角の胸がどきりとした。
鼓動が早まっていき、どうしたらいいのかわからなくなる。
ただ先ほどのように悠真の腕は伸びてこない。
無理矢理抱きしめられることもない。
嫌ならば、このまま何もしなければいい。
(でも、ハルマサはしてほしいんだもんね)
蒼角は目の前の彼がただただ幼い少年のように思えて胸がぎゅっとなった。そしてそっと膝立ちになり、細い両腕を伸ばす。悠真の頭をそっと抱きしめた。
「……こ、これでいい?」
「ん」
「い、痛くない?」
「ん」
「うう、なんだかちょっとはずかし……」
ドクドクドクドクと胸が音を立てる。最初に抱きしめられた時よりもずっと速く。ぎゅうううう、と頭を抱きしめていれば悠真の頭が動くこともなかった。
「……く、苦しい?」
蒼角が訊ねるが、返事はない。少しして力を緩めて見ると悠真は静かな寝息を立てていた。
「寝ちゃった……」
そろりそろりと腕を抜き、蒼角はベッドから離れる。安らかな寝顔の悠真を見つめ、はっとしてクローゼットの方を振り返った。中には光る眼が二つ。悠真の飼い猫だ。
「ね、ねこちゃん……ハルマサってお熱出したらいつもこうなの? こんなに甘えんぼになっちゃうの? もし今日ナギねえがここに来てたら、ナギねえにもこんなことしてたのかな……!?」
その瞬間蒼角の頭の中には優しく悠真に抱擁する柳のイメージが浮かんでいた。いつもならそこに自分がいるはずだが、想像上では悠真があの大きな胸に抱かれている。そう考えると、ちくりとした。
(……? あれ、もしかして蒼角、今ハルマサにやきもちやいちゃったのかな……ナギねえを取られたみたいで?)
そう考えたものの、頭の上には疑問符が浮かぶ。
どうにもしっくりこない。
それから蒼角はまた冷たく絞ったタオルを悠真の額の上にのせた──。
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