ビリーのとある一日 - 4/7


 ***

 ビリーは今、地下鉄駅前で一人ギターを持って路上ライブをしている男の横に、ボンプを持ったまま座っていた。

「はあーあ。これからどうしよ」

 抱えているのは意識のないボンプ。
 ニコからもらったボーナスはどこかへ消え去り、
 ビリーはぼんやりとスクランブル交差点を眺めている。

「このままこいつを連れて帰んのもなぁ……」

 人の流れは絶えず、不毛に時間が過ぎていくように感じる。見知らぬ人間たちがあっちへこっちへ。隣のストリートミュージシャン同様に自分もこのまま誰にも気づいてもらえずに一日を過ごすのだ……などと思っていれば、一度通り過ぎたはずの一人の女性が何かに気が付いたようにこちらへ一直線に近づいてきた。

「君……もしかして機械人かい!?」
「ヒェッ!?」

 急に近づいてきた女性はビリーの両肩をがしっと掴み、目を輝かせている。ビリーは思わずあわあわとしてしまい、抱いていたボンプをさらにぎゅうっと抱きしめた。

「ああごめん、急に驚かせちゃったね。私は普段機械の整備を仕事にしているんだけど、こんなボディの機械人を見たのは初めてでね。その、後学の為にもじっくり見てもいいだろうか?」
「え、ええーっと……まあ、見るだけならいいけどよ」
「本当かい!?」

 了承を得ると女性はビリーの体を掴んで立たせた。ビリーはボンプを地面に放るとそのまま直立不動になり、まじまじと観察される視線に耐える。

「ああああすごい……ボディがツヤツヤだ……指先の動きもしなやか、うん、可動部もきちんと整備されているね。普段修理はどこでやっているんだろう。ああ……この機体を弄りまわすことができるなんて羨ましいなぁ……はあ、不躾かもしれないけれど、少し、ほんとに少しでいいんだ……頬擦りをしてもいいかい?」
「頬擦っ……!? いや、ええと、いいけどよぉ……でも――」
「ありがとう!!」

 ビリーの言葉を遮ってその女性はビリーの手を取り、指を絡ませ、頬を擦り寄せる。そしてまたもや固まってしまったビリーはなすすべもなく、女性はさらにビリーを抱き寄せるようにして腹部に耳を押し当てた。

「ああ……内部の駆動音が直に響いてくる……それにこの滑らかな高密度合金腹筋も良い……うっとりして離れたくないくらいだ……是非ここで解体してみてもいいかな!?」
「ダメに決まってんだろ!!!!」
「そう言わずに! ちゃんと元に戻すからさぁ! 機械人を弄ったことは今のところないんだが、記憶力に自信はある。分解の順序を覚えていれば難なく――」
「イヤァー!! この姉ちゃんこわい誰か助けてー!!」

 治安局が目の前にあるこの場所でまさか強制わいせつに遭う日がやってくるなどとは、ビリーは思ってもみなかった。しかも先ほどから通行人の目が痛い。これ以上の羞恥に耐えることは無理難題である。

「……ん? 君の足元にあるのはボンプかい?」

 彼女の視線がたまたま下に向かい、それを認識した。ビリーもはっとしたように、そして意識が自分以外に向いたことにほっとして、ボンプを抱き上げた。

「あ、ああそうだ。さっき知らねー奴からもらったんだけどよ。なんでも壊れてるらしくって……」

 邪兎屋に持って帰ったらきっとニコの親分も「分解してパーツをディニーと交換よ!」とか言うんだろうなぁ――そう考えるとビリーはまた肩を落とした。

「……うん、そのボンプ私に貸してごらん」
「ええ? あんたもこのボンプをバラすのか!?」
「何言ってるんだい? バラすんじゃなくて、ちょっと中を弄ってあげるだけさ」
「弄る……? 修理する、ってことか?」
「そうだとも」

 優しく微笑む女性。するとどこからか工具を一式取り出した。どうやら修理ができるってのは信じても良さそうだとビリーは安堵した。

「ほら、ここをこうして……摩耗してる部分があるな、応急処置で一旦ここを繋いで……うん、どうだい? かわいこちゃん」

 彼女がひと撫ですると、ボンプは一瞬遅れて意識を取り戻した。

「ンナ、ン、ンナナナ……」
「うおお、すげぇや! 姉ちゃん器用なんだな!」
「これでも技術屋だからね。……でもこのボンプはまだ中の交換しなきゃいけない部品がいくつかある。もし君がよければ、このまま連れて帰ってもいいだろうか?」
「もちろん大丈夫だぜ。俺のじゃねーしな!」
「よかったねかわいこちゃん、元通り動けるようにしてあげるからね。安心して」
「ンナァ……」
「よし。じゃあもう一度機械人のお兄さんを――」

 彼女の意識が再度ビリーに向いてしまったその瞬間、後ろから「グレース!」と呼ぶ声が聞こえた。そこにいたのは巨体を揺らしゆっくりと歩くクマのシリオン。その恰好から白祇重工の従業員だということがわかる。

「おいグレース、何してる。さっさと帰らねぇと社長がカンカンだぞ」
「おっと……悪いねベン。今素敵な出会いがあったところなんだ」
「素敵な出会いだぁ? ……おいおい、この機械人さんに迷惑かけてんじゃねーだろうなぁ」
「迷惑なんて! ねぇ?」
「いやいやいやいやとても迷惑です!!!」

 ビリーがぶんぶんと体の前で両手を振って見せると、クマのシリオンは状況を察したのか大きなため息を吐いてグレースと呼ばれた女性の肩を掴んだ。

「おい、通報される前に帰るぞ」
「通報? 何かあったのかい?」
「お前さんだよ。まったく、悪いな機械人さん。こいつの言うことは聞かないでくれていいんだ。さあ、帰るぞグレース」
「ああっ、ちょっと待って!」

 グレースはするりとベンの手から体をすり抜けると、ポケットからくしゃくしゃになった何かを取り出した。

「時間を取らせちゃって悪かったね、機械人のお兄さん。はい、これどうかな?」
「これはー……コーヒーチケット??」
「ボンプをくれたお礼にってのと、あとは楽しませてくれたお礼さ。何でもこのチケットじゃなきゃ飲めない特別なコーヒーがあるらしいんだけど、私は仕事で忙しくてわざわざ買いに行けないからね。君がもしよければこれをあげるよ」
「お、おお……サンキュー。でも俺コーヒーは……」
「え!? なんだい!? もしかしてコーヒーチケットより私に体を弄り倒される方がお望みかい!?」
「あああああいやいやいや感謝してるぜ! 俺様今とってもコーヒーにハマッててぇ! それじゃ、ちょっくら飲んでくるから!! 姉ちゃんあばよー!! あとクマのおっさん助けてくれてサンキューな!!」

 ビリーは急いでその場から離れ交差点を渡る。
 背後で「俺、おっさんに見えるか……?」とクマのシリオンが悲しそうにしているのが聞こえた。

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