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外へ出てみれば、まだなんてことはない昼間だ。
一時間もしないくらいだが暗闇にいたため目は光の刺激を嫌った。
「あ~、まぶし~」
呻きつつもどうにか目を開けると、隣の蒼角ちゃんはだんまりのままそこにいた。僕を置いて行ったあの時一体何を見てきたのか、まだ話してはくれない。ただ僕も、訊ねる気はない。蒼角ちゃんにだって触れられたくないことはあるはずだ。
「……さあ、帰りも上手く車を捕まえられるといいんだけどねぇ」
「………」
「それとも観念して月城さんに帰りの車寄こしてもらう?」
「………」
副課長の名を出せば何かしら反応はあると思ったんだけど、蒼角ちゃんの口は開かなかった。僕はまだどうやら蒼角ちゃんのお守りに慣れたわけではないらしい。
「はあ……仕方ないな。ほら」
「……?」
僕は手を差し伸べた。
小さな青鬼ちゃんは不思議そうに顔を上げて、僕を見た。
「手、つないであげるよ。そんなにしょげてたら帰りの森で迷子になっちゃうかもしれないでしょ?」
「……ハルマサが?」
「蒼角ちゃんが!!」
僕が声を荒げると、彼女は一拍置いて、笑った。
「……へへっ、そだよね。ありがとハルマサ」
蒼角ちゃんの小さな手が僕の手の上にのせられた。
この手がいつも、大きなあの武器を振り回しているんだ。
改めて考えても不思議だ。
手をぎゅっと握り、歩き出してすぐだった。
「……あのねぇ」
「ん?」
「匂いがしたんだぁ」
「匂い?」
風が吹き、草の匂いが香った。
蒼角ちゃんの鼻がすんすんと音を立てる。
「匂いがしたから、わたし、気になって奥へ行ったの」
「あのね」
「もしかしてねえねがいるのかなって思って」
「ずうっと会ってないんだ、ねえね」
「でもね」
「ねえねの匂いがした場所に」
「あったの」
蒼角ちゃんは震える息を吐いた。
「血の跡があったんだ」
「………」
「ねえね、ここにいた時はよく咳をしてたから……その時の血が、ついてたのかなぁ」
「………」
「暗くてよく、わからなかったけど」
蒼角ちゃんは地面を見つめて、また震える息を吐き出した。
それから、僕を見た。
「……わたし、ここに来てよかった」
「えっ?」
「わかんないことは、わかんないままだったけど……おうちに行けてよかった。一緒に来てくれてありがとう、ハルマサ」
「……僕は何もしてないけどね」
「ううん、ハルマサがいっしょに来てくれたからよかったんだよ。わたしひとりだけだったら、遠くてたどり着けなかったと思うし……それに、おうちから出れなかったかも」
「出れなかった?」
「……みんなの匂いが、いっぱいするから」
蒼角ちゃんはそう言うとまた前を向いた。話すことは終わったようで、その口は閉じている。僕は手の中の温もりを感じながら空を見上げた。広い空、雲一つない。
「僕も、子どもの頃のおうちに行ってみよっかな」
「ハルマサのおうちはどこにあるの?」
「ん……ちょっと都市から外れた……病院さ」
「びょーいん……が、おうちなの?」
「そ。ただ今は取り壊されたか、そのまま廃病院と化してるか……」
そこまで言うと、自分の頭の中に病院の外観と、自分の病室が思い浮かんだ。
懐かしさと、切なさと、ほんの少しだけ楽しい記憶がない交ぜになる。
「……もしハルマサがおうちに行くなら」
「?」
「わたしがいっしょに行ってあげるね!」
「あ……」
蒼角ちゃんの手が、ぎゅっと僕の手を握る。
何故だか鼻の奥がツンとして……涙が出そうになった。
「……い、いやだった? 蒼角、行かない方が良い?」
「………」
「ハルマサ?」
「……いいや、大丈夫だよ。でももしかしたらなーんにもなくてつまんないかもよ?」
「だいじょーぶだよ! あ、次はおべんと持ってこ! そしたらつまんなくないよ!」
「あははは! お弁当って、ピクニックじゃないんだからさぁ……ああ、いや……秘密のピクニック、かな」
「え? ピクニック?」
楽し気な言葉に聞こえたのか、蒼角ちゃんの耳がぴくんと揺れ動いた。僕はそれを見て、笑う。
「……お弁当持って、バス乗り継いで、行ってみよっか。ぼくのおうち」
「蒼角、おにぎりいーっぱい持ってっていい?」
「持てるだけ持ってきてどーぞ」
「やったぁ! 頑張っていっぱいにぎるね!」
「蒼角ちゃんが作るの?」
「こないだナギねえとおにぎり作ったの! 中の具はどうしよっかな~、鮭と、昆布と、おかかとツナマヨとぉ~」
「じゃあ僕のは高菜でお願いね」
「タカナってなーにー?」
「高菜っていうのはぁ~……」
──森を抜け、帰りの車を拾うまでの長い長い間、僕たちはおにぎりの具の話をずっとしていた。何が好きか、何をいれたら美味しいか、何なら蒼角ちゃんでも作れそうか。きっと帰った後サボりがバレて月城さんにすごく怒られるんだろうなってことはわかっていたけれど今だけは、
過去と対峙したこの小さな鬼の子を楽しませることに、心を注いであげようと思う。
<了>
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