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ビリーが体を起こしたのは、夕方近くなってからだった。
ここへ来てからすでに四時間近く経っている。
ベッドに腰をかけ、脱がされていたズボンに足を通す。
慣れてしまったせいで恥ずかしさなどは微塵もない。
「後で見返す為に動画も撮らせてもらったよ。もっとよく確認したかったんだけど……あまり長居させると悪いみたいだしね」
「お気遣いどーも」
確かに今夜は邪兎屋の仕事が入っているのだ。事前に伝えていたわけではなかったのだが、もしかするとニコから言われていたのかもしれない。
「そんじゃ、俺は行くぜ。次はまた――」
「あー……ビリー、その……もう少しだけ私に付き合ってくれるかい?」
「んん?」
立ち上がろうとしたビリーは、不思議そうにグレースを見てベッドに腰を下ろす。
グレースは工具を全て片付けると咳払いを一つしてしばらく視線をあっちへこっちへと泳がせていた。
「……なんだぁ?」
「ああいや、その……君に言われて少し考えたんだよ」
「俺に言われて? 何のことだ?」
ビリーが訝し気にグレースを見つめれば、グレースはもう一度咳払いをして今度はビリーに向き直った。
「さっきも言ったように君に男性器は必要ないよ。生殖も私には全く必要ない」
「……うん?」
「でもその、ひとつ、してみたいことがあるんだ」
「してみたいこと?」
ビリーを真上から照らしていた明かりが、陰る。
グレースが座るビリーの脚の間に立ち、彼の両肩に手をかけていた。
「……君を、抱きしめたいんだ」
ほんのすこし赤らんだ頬。
唇の隙間から漏れる熱い息。
悩まし気に下がった眉と潤む瞳。
「………………………前もこんなことなかったか?」
ビリーは以前グレースに抱きしめられたことを思い出していた。
あの時は「君を抱きしめたら、子どもたちのことを思い出して心が落ち着く気がするんだ」と言われて仕方なしに承諾したわけだったが――。
「あはは、そういえばそんなこともあったねぇ」
「また子どもを思い出したくて―ってか? あれ、でもそういや戻ってきたとか言ってたよなぁ」
「ああ、うんそうだとも。だから今回はそうじゃなくて……ちゃんと君を感じたいんだ」
「……?」
首を傾げるビリー。
しかし、
見上げた先にあるグレースの表情が、
少し恥ずかし気に顔を赤らめていて、
ビリーはしばしの間ぼんやりと見つめた。
「……別に、いいけどよぉ」
ビリーが答えるとグレースはぱぁっと顔色を明るくさせ、そしてぎゅっとビリーの胸板に抱き着いた。
「おわっ」
ビリーの胸に耳を当て、安心したように深く呼吸をするグレース。
そして力が抜けていくかのように抱きついたままビリーの脚の間に座り込んだ。
「……君の音はいつも安定していて、安らぐんだ」
「安らぐ?」
「ずっとこのままでいてほしい。私はそう思ってるよ」
「………」
「だから、君がこのまま居続けることができるように、私は、君をもっと知り尽くしたい」
「……ふーん」
「私はね、私なりに君を愛しているんだよ。ビリー……」
「………」
――少しして、グレースの規則的な呼吸音が聞こえた。
寝息を立てているのだ。
(まーた寝たのか)
呆れてため息を吐くビリーだったが、彼女の目の下にできたクマに気づきそれをひと撫ですると今度は彼女の頭を優しく撫でた。
「俺にこんなふうにくっついて寝る人間がいるなんてよぉ、前までは思いもしなかったんだよなぁ」
指の腹でグレースの頬に触れる。
硬い自分の機体と、
柔らかい彼女の身体。
構造体と生命体。
明らかなる違いを再度確認しビリーは吸気をしばし止め、排気した。
「……俺もあんたに触られるのは案外嫌いじゃないぜ、グレース」
そう声に出して、
(柄にもないことを言ったかな)
と少し恥ずかしくなってビリーは自分の頭を掻く素振りをした。
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