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──テーブルの上に両肘をつき食い入るように蒼角を見ていたリンは、目を見開いたまま唖然としていた。そしてその数秒後、意識を取り戻したかのように目を輝かせ思わず立ち上がりそうな程に腰を浮かせた。
「どーゆーこと!?」
「あ、うう、えーと……」
「やっぱり悠真と付き合ってるの!?」
「やっぱり? うーんと……うまく、説明するのムズカシんだけど……」
蒼角の様子はどこか不安げで、リンはすとんと椅子に腰を下ろした。興奮気味だった表情筋も元に戻り、首を傾げる。
「……なんか、あったの?」
リンの問いに、蒼角は伏し目がちになり少しだけ口を尖らせた。
「ハルマサとぎゅってするようになった理由は、えーっと、言えないんだけど、あ、蒼角がしたいって言ったの! とにかく蒼角からぎゅーしたいって言って、それで、それから毎日するようになって、おはよー! ぎゅっ! とか、ばいばーい! ぎゅっ! とか、いつものあいさつみたいな感じで、することが多くって、ええとね、とにかくぎゅーするとね、安心するの」
蒼角はそこまで一息に言うと、ふうと息継ぎをした。
「すっごく安心して、それでね、わあーもっとぎゅーしてたいっ、ぎゅううううーって強く抱きしめたいし、抱きしめて、ほしいなって、思ったり……するんだけど……」
ちらり、と蒼角がリンの表情を盗み見る。リンは口元に両手を当て、「たまらない」といった様子でコクコクと頷いている。続きを話してどうぞ、という意味だろう。
「……でもほんとは家族でもないのに毎日ぎゅーするのって、おかしいよね。ドラマで見る恋人同士がすることだもん。あ、お友達同士でももちろんぎゅーするけど! でも、毎日はしないよね。だから……」
「……だから?」
リンに促され、蒼角は少し照れながら小さな体をもっと小さくするように背中を丸めて言った。
「蒼角にだってわかってるんだ、これが《好き》なんだってことくらい。でもそれを言ったらね、ハルマサ、遠くへ行っちゃう気がするの。だからね、毎日ぎゅーしてくれるけど、ハルマサに好きだってことは言えないの」
そこまで言うと、蒼角は残り少ない水が入ったコップに口をつけた。リンも自身のコップを手に取る、が飲もうとはしなかった。
「……言えないの?」
「うん」
「どうして? 好きって言われたらきっと嬉しいと思うけどなぁ。それに悠真が急に六課をやめるなんてことまずないと思うけど……」
「ううん、やめちゃうとかじゃなくて……そっと蒼角から離れてっちゃう気がするんだ」
「……離れてく?」
リンは訝し気に首を傾げる。蒼角は唇を噛み、空になった肉のトレーを指で突いた。
「……うん」
「んー、悠真だってさあ、蒼角のこと満更でもないから毎日ぎゅーしてくれるわけでしょきっと。てかそうじゃん絶対」
「ううー……」
「それが気持ち伝えたら離れてくとかあるかなぁ~」
「あのね、ハルマサの考えてることは何にもわかんないよ。わかんないんだけど、でももし離れてっちゃったら……きっとわたし、いっぱいいっぱい泣いちゃうと思う」
蒼角の潤んだ瞳からは、今にも涙がこぼれ落ちそうに見える。リンの胸が少し痛み、蒼角を今すぐにでも抱きしめてあげたい気持ちになった。
「なるほどねぇ。今の関係が壊れちゃうかもしれないって不安なんだ、蒼角は」
「……そうなのかな」
「毎日ぎゅーする関係かぁ~。それがずーっと続くなら蒼角は嬉しいってこと?」
「う、うーん……うん、多分」
「それ以上は望まないってことだ?」
「え?」
「ほら、恋人同士になってみたいとかさぁ。ドラマたくさん見るなら、蒼角だって恋愛して恋人がほしいって憧れること、ないの?」
「こいびと……なんていうか、ドラマはテレビの中のお話って感じで、蒼角がその主人公になるってイメージはあんまりなかったかも」
「そっかぁー……」
「でも、蒼角も主人公になることが……いつかあるのかな」
不安と期待が入り混じった瞳が、リンを見る。
リンはそれを見つめ返し、ふっと思わず笑みがこぼれた。
「……あるある! 蒼角が主人公の壮大でめちゃくちゃハッピーエンドなドラマ! だから安心しなって、蒼角だって、今よりもっと幸せになる権利があるんだよ!」
「今よりもっと……幸せになるケンリ?」
蒼角は胸がきゅっと締め付けられたような感覚になり、自分の胸に手を当てる。今この瞬間火鍋屋で食事をしている蒼角は、自分が幸せだと知っている。それでも、その幸せとは違う幸せを手に入れることができるかもしれないと、そう思うと胸がじんわりと暖かくなったように彼女は感じた。
「………」
「大体さー、よく考えてもみてよ。なーんとも思ってない相手と毎日抱きしめ合う関係って……それってなんだか不健全じゃない!?」
「フケンゼン?」
怒ったような表情でメニューを見始めるリンを見て、蒼角は首を傾げる。リンはデザートの項目を探すと上から順に眺め始めた。
「だってさ、抱きしめ合うことでお互い心地良さとかを感じてるわけでしょ? それがさ、相手は『いや、あなたのことはどうとも思っていません』なんて態度取ったら怒っていいと思うの! そんな奴から心地良さなんて感じられるわけなくない!?」
「うん? ……えーっと、あ、そっか! 蒼角、ナギねえとも時々ぎゅーするけど、もしナギねえに蒼角のこと嫌いって言われたら次からぎゅーするの不安になる!」
「うんうん。だからね、やっぱり……悠真だって蒼角のこと、少なからず好きだと思うんだ。そういう気持ちが伝わってくるからこそ、蒼角は悠真とのぎゅーで幸せ感じるんじゃないかな?」
「……ハルマサの、好き、を感じてるってこと?」
そう呟くと、蒼角は急に顔を赤らめ、耳の先まで熱さを感じた。リンはメニューを見終わるとそれを元の場所に戻し、今しがた沸騰寸前になってしまった蒼角の顔を見てにんまりと笑った。
「とにかく言ってみなよ。蒼角が不安に思ってることなんて起きないかもだしさ!」
「うん……うん、わかった。わたし、言ってみる!」
「……はー、蒼角が悠真と恋人になるかもしれないのかぁ~。なんか想像できないなぁ~」
「わたしも想像できない~。ねぇねぇ、恋人って、何するの? ドラマで見るようなことするの? ぎゅーとか、ちゅーとか、ベッドに一緒にはいったり??」
蒼角の質問に、リンは思わず視線を逸らしてしまう。ベッドに一緒に入る、ということを蒼角がどれだけ理解しているのかリンにはわかりかねるからだ。
「……あー、えっとね、そうだけど、そこまでそんなに急がなくても大丈夫かなーと思ったり……」
「わたし、ドラマでは恋愛っていっぱい見てきたけどほんとの恋愛ってよくわかんないや。こんなふうに誰かを好きになったことも……はじめてだし」
「ふふっ、いいのいいの。ふたりにはふたりの歩調があるんだから。ゆっくり付き合っていけばいいんだよ!」
「そっかぁ。そういえばハルマサはわたしと歩く時ゆーっくり歩いてくれるかも」
「お、そうでしょそうでしょ? だからなーんにも気にしないで──」
「だから今度は蒼角がハルマサに合わせたいな!」
「ええ? ま、まあそういう考え方もある? かな?」
「恋人のゴールってなんだろ!? 一緒にベッドで寝るのがゴール!? そしたらハルマサ安心するかな!?」
「え、えええ~? ええーと、そ、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないしー……」
「あれれ、店長なんか変な顔してる? もしかして蒼角、間違ったこと言ってる!?」
「いやいやいや、間違ってるとかじゃなくてね! あはははは……」
「お話したらお腹減ってきちゃった。追加のお肉たのもーっと!」
蒼角は手を挙げ店員を呼ぶと、先ほどよりもたくさんの種類の肉を注文したのだった。
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