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「──悪いね、久々の休暇なのに」
アキラが声をかけると、棚のビデオ整理をしていた浅羽悠真が振り返って引き攣った笑みを見せた。
「ほんと、あんたって人使い荒いよねぇ」
「そんなことはないと思うけど……あ、いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ~~」
──明日は休暇だ家でゆっくりのんびりしちゃうもんね~、と悠真が思っていた昨夜、突然ビデオ屋店長のアキラから連絡が来た。どうも明日は妹店長がしばしの間留守にするらしく、その分手伝いをしてほしいとのことだった。げんなりとした悠真だったが、『お昼からの二、三時間だけ』『ちゃんとバイト代も出す』『疲れたら奥の部屋のソファで横になってどうぞ』という言葉に仕方なく本日アルバイト出勤したわけである。
「……で? リンちゃんは健気に働くお兄ちゃんを置いてどこ行ってるわけ?」
「友達と火鍋を食べに行ってるんだ。僕も行きたかったんだけれど、さすがに僕ら二人とも店を開けるというのもね」
「ふ~ん。じゃ、リンちゃんが帰ってきたら僕と火鍋食べに行く?」
「それは良い提案だ。その為には悠真の仕事量を多少増やさないとね。でなければ今日のやることを終えられそうにない」
「うーんその提案はやめて僕一人で食べに行きまーす」
「つれないなぁ」
くすくすと笑うアキラに背を向け、悠真はまた棚整理の仕事に戻った。ちょうどいま片付けたビデオが、先日蒼角と一緒になって見たビデオだということに気が付く。悠真は一瞬手を止めたが──すぐにそれを棚に戻した。
「今日は他に予定ないのかい?」
「あったらそれもう僕にとってお休みじゃないってば~。疲れてくたくた、咳はゴホゴホ、さしずめ明日は病欠ってね」
「じゃあこのあとはまっすぐ家に帰るのかい?」
「もちろん。猫とベッドが僕を待ってるからね~」
「確かに猫はいい薬だ」
アキラはそう言うと、床に寝転がっている黒猫を見て微笑んだ。ビデオ屋《Random Play》で飼われているその猫はアキラの視線に気づくも、体を起こすことなく自分の身体を舐めている。
──しばらくしてそれなりに賑わっていた店内の客が捌けると、アキラは時計を確認した。そろそろ妹のリンが帰ってきてもおかしくない頃だ。何かメッセージでも来ているだろうか、と確認しようとした時だった。
「はーあ、疲れた」
悠真がカウンターに肘をつき、寄り掛かっている。アキラはふっと笑うと「お疲れ様、あともうちょっとだよ」と労った。
「なーんか今日お客さん多かったんじゃないのぉ~?」
「そりゃあ、今日のバイト店員にみんな興味津々なんだよ」
「もしかして僕がここに来ることでこのお店の売上上がってたりする?」
「ありがたいことにね。どうだい、退勤後毎日ここでバイトするっていうのは」
「あんたねぇ……僕に過労で死ねって言ってんの?」
悠真がじろりと睨むと、アキラは軽く笑った。そしてふと思い出したように一点を見つめ、顎に手を添える。
「そういえば悠真に訊きたいことがあったんだ」
「え~? なになに、僕のスリーサイズとかぁ~?」
「それはファンクラブサイトでも開けばわかるから必要ないよ」
「いやいやいや、僕のスリーサイズってファンクラブサイトで公開されてんの!? なんで!?」
「あははは、それは冗談として……」
アキラがにこりと微笑む。
悠真は不思議そうに見つめ返した。
「悠真は、蒼角と一体どういう関係なんだい?」
「!?」
カウンターについていた肘がずるっと滑り、悠真は体勢を崩した。どうにか立て直したものの、その表情はまだ困惑したままだ。
「え、蒼角ちゃん? 同僚ですけど? 知ってるよね?」
「知っているとも。悠真も蒼角も、対ホロウ事務特別行動部第六課のメンバーだ。ただ、僕にはどうもそれ以外の何か深い関係性があるように思えてならない……というのが、映画好きの僕の直感だ」
にこにこと笑っているアキラが得体の知れない生き物のように思え、悠真は口元を引きつらせた。
「……た、ただの同僚だって。その直感、もっと違うところで活かした方がいいんじゃないのぉ~?」
「まあ、それもそうだ。さして付き止めなければいけない真相というわけでもないしね。僕はここで引いてもいいのだけれど、ただしうちの妹は納得のいく答えがもらえるまでは掴んだら放さないタイプでね」
「リンちゃんは? まだ帰ってこないよね?」
「どうだろう、そろそろ帰ってくるかもしれないけれど」
「じゃあその前に僕はさっさと帰ればいいってことだ」
「そんなに聞かれるのが嫌なのかい?」
アキラが首を傾げ、悠真は目を細める。
「あのねぇ。逆に聞くけどあんたたちは僕と蒼角ちゃんが一体なんだと思って話してるわけ?」
「うーん……リンが何と言うかは断定できないけれど、僕からすれば君は随分と蒼角に優しいなと思うよ。まるで本当の妹か娘かのように」
「おっ? なーんだわかってるじゃない、そうだよ、蒼角ちゃんは六課全員の妹でありマスコットであるからね。可愛くて仕方ないんだって。あの純粋な目を見てよ。僕が何を思って話してるかなんてよく考えもせずに聞き入ってくれる。そして僕はあの子への《指導》という名の元職務から離脱して快適にズル休憩を取ることができる。ね、使い勝手のいい子じゃない。あ、こんなこと月城さんに聞かれたら殴られるな……」
「使い勝手、ね。僕には真逆に見えるんだけどな」
「真逆?」
きょとん、として悠真はアキラを見る。
アキラは視線を落とすと帳簿の確認をし始めた。
「悠真はいつも蒼角に振り回されているようにも見えるよ」
「あー……いやまあそういう場合もあるけどさぁ」
「蒼角のことを放っておけない、自分がなんとかしたい、近くにいたい、あるいは誰の手にも渡らないよう傍に置いておきたい──」
「ストップストップストップ! 待って! アキラくん、それは妄想がすぎるんじゃないのぉ!?」
「いやぁ、ついつい物語の主人公のごとく語りたくなってしまって」
「勝手な思い込みはやめてよね!? 大体蒼角ちゃんを傍に置いておきたいとか……」
「思っていないんだったらいいんだ。もしかするとこれは、悠真ではなくて僕が思ってることかもしれないね」
「はあ?」
素っ頓狂な声が悠真の口から出た。
それが可笑しかったのかアキラはくすくすと笑った。
「蒼角はとてもいい子だろう? 健気で、真っ直ぐで、いつもお腹を空かせている様は何かを与えたくなるし、そしてご飯を食べると至福の表情になってこちらも幸せになれる。傍において可愛がりたくなるのはごく普通の感情だ。ああいう純粋な子はなかなかいないし、もっと仲良くなれたらいいのになと常日頃思っているよ。そうだ、今度僕も火鍋にでも誘ってみようかな。蒼角は火鍋が好きだったよね。好物を奢ってあげれば僕にも良い感情を抱くかもしれない。今はまだ幼い蒼角だけれど、実際の年齢はそう幼いというわけでもない。これから成長していけばいつかもっと深い仲にも──」
「本気で言ってんの?」
悠真はじっとアキラを見た。
アキラは悠真の視線を感じ、帳簿から顔を上げて見つめ返す。ふっと微笑んで見せれば、アキラは次に手元の返却済みビデオの集計作業を進めた。
「言っているとも。彼女の成長は誰だって楽しみだと思うよ。今だって魅力的なところがいっぱいあるだろう? それに気づいている人もたくさんいるさ。何より彼女のファンはたくさんいる。彼女とお近づきになりたい人間はわんさか──」
「……アキラくんがそんなことを言う奴だとは思ってもなかったな」
「おや、どうしたんだい悠真」
「気分が悪い、吐きそうだ。今日は帰るよ」
「約束していた勤務時間まではあと三十分あるけれど」
「残念でした~、残りはおひとりでがんばって。それじゃ」
「……悠真、やっぱり」
悠真がビデオ屋を出ていこうとした瞬間だった。
「──君は蒼角のことが好きなんじゃないか?」
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