#14 お話と仲直り - 4/5

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 翌日午前中、リンとアキラにお礼を言ってビデオ屋を出ると蒼角はH.A.N.D.へと向かった。今日は午後からホロウでの任務がある。しかしそれよりも少し早くに職場へと着いた。蒼角が途中で買った朝ごはんのコロッケパンを自分のデスクで頬張っていると、廊下から静かな足音が聞こえた。

「──蒼角か、おはよう」

「おはようボス!」

 入ってきた星見雅に挨拶をすると、蒼角は口元についたパンくずをぺろりと舐めとった。

「……あ、昨日は途中で帰ってごめんなさい!」

「む、気にするな。私は怒ってなどいない」

「でもナギねえは怒ってるよね……」

「柳も、怒っていない」

 雅は自分のデスクに着くと、自身の妖刀を確認し置いた。そしてデスクの上にある書類とメモ書きが目についたが、見なかったことにしたようだ。

「柳はもう来ているようだな」

「え! ナギねえもういるの? 蒼角さっき着いたけどまだ会ってないよ」

「呼び出しがあったのかもしれないな」

「そっか~」

 そこで会話が終わると、蒼角は少しそわそわとした様子になった。雅がそれを見つめていると、蒼角と目が合う。

「あ」

「……何だ」

「え、と、あのね」

「む?」

「昨日、蒼角……ナギねえと喧嘩しちゃったの」

「ああ、わかっている」

「……このあと、仲直りしたいの。ボスも一緒にいてくれる?」

「ああ、居よう」

「ほんと!?」

「私は皆を止める為にここにいる」

「止める?」

「誰かが感情的になった時、抑える役目だ。昨日悠真に頼まれた。ただ、上手く機を掴めるかはわからない。感情的になった時は、なった、と言ってくれるとありがたい」

「……あははっ、ボスってば変なの~!」

「変? そうか、やはり《空気を読む修行》というのは再度やっておかねばならないな」

「空気を読む修行ってどうやるの?」

「多くの人が行き交う街中などで人々の会話を聞き、どういう運びになるかを見る」

「見るの?」

「それを繰り返していけば、如何様なことかを言った時、如何なる反応になるかがわかるようになる」

「へぇー!」

「しかし私にはまだわからないことが多い。つい先日も柳からの問いかけに対し修行によって心得た返答をするも、呆れられてしまった。空気を読むというのは、至難の業だ」

「そっか~。私もちょっと難しいかも……あ!」

 蒼角の耳がぴくんと動く。

 廊下から聞こえる足音に反応したようだった。

「おはよーございまぁ~す」

「ハルマサ! おはよ!」

 ガタンッと音を立てて椅子から立ち上がり、蒼角が駆け寄る。いつものように抱き着こうとして、はっと気づいたように悠真の前で急ブレーキをかけた。

「? 蒼角ちゃん?」

「あ……」

 蒼角はもじもじとして「な、なんでもなぁい」と俯く。その様子に、悠真は一度雅の方へ顔を向ける。それに気が付いた雅はこくりと一つ頷いて見せた。

「……蒼角ちゃん、おはよ」

 そう言って、悠真は優しくぎゅっと蒼角を抱きしめた。

「!」

「職場だから遠慮したんでしょ? ちゃんと我慢しようとしてえらいね~」

「あ、うう」

「でも僕は我慢できなかったから僕の方が子どもだな~ハハハ」

「ハ、ハルマサ、あの」

 状況が呑み込めない蒼角を、悠真は抱きしめる腕から解放してやる。蒼角は困惑したように悠真を見上げた。

「……これから月城さんも来るからさ。お話しよっか」

「へ? え、うん……」

 そう言ってすぐ、聞き慣れたヒールの音が耳に届いた。蒼角は反射的に嬉しそうな顔をし、けれどもすぐに不安そうな表情になった。

「──皆さんおはようございます。蒼角、昨日はプロキシさんのところでよく眠れましたか?」

 部屋の入口までやってきた柳は、すぐそこにいた蒼角へと視線を向ける。いつもとは違う──どこか困ったような柳の表情。蒼角は「あ……」と言い(よど)み、それから「うん」と頷いた。

「そうですか。それならよかったです」

 そう言った柳は、安心したように頬の筋肉を弛緩(しかん)させた。その様子にほっとした蒼角が口を開く。

「あのね、ナギねえ! 昨日はごめんなさい! 蒼角、ナギねえにばかなんてひどいこと言っちゃった……ほんとはそんなこと思ってないの! 蒼角、ナギねえのこと大好きだし、いっぱい優しくしてくれるし、ばかなんて、ほんとは全然思ってない……」

「わかっていますよ、蒼角」

「ほんと……?」

「ええ。それに、謝らなければいけないのは私の方ですから」

「ナギねえの方……?」

 蒼角が首を傾げる。柳は一瞬悠真を見て、また蒼角へと視線を戻した。

「……蒼角、浅羽隊員とお付き合いしているんですよね」

「あ、う、うん」

「ふたりで話し合って決めたことですか?」

「そう、だよ」

「気持ちだけではなく、あなたの寿命や、浅羽隊員の身体のこと、今後のこと、全て考えた上でですか?」

「考えたよ! 考えたら、難しいこといっぱいあるけど、でも考えれば考えるほど、今ハルマサと一緒にいるって決めないとヤダって思ったの!」

「蒼角……」

 柳は眉を下げ、蒼角の頭を撫でようとした。だがその手は一瞬動きを止め、ゆっくりと蒼角の小さな肩へと載せられた。 柳の瞳が悠真へと向く。

「──それで浅羽隊員も、同じようにこの子の将来のことは考えていただけたんでしょうか?」

「そりゃ考えましたよ? 僕なんかと一緒にいない方が絶対いいよなぁと元々思ってましたし。でもね、この子がこんなに僕のこと好きって言ってくれたら、僕だって我慢ならないですよ。僕の一生はきっと月城さんや雅課長よりも短いですけど……それでもこの一生をかけて、蒼角ちゃんを幸せにすることを僕は誓います」

「……浅羽隊員」

「この短い時間のことを、いつ思い出してもすごーくいいものだったって思えるように努力しますって」

 にこりと笑う悠真に、柳は眉間に皺を寄せた。決して怒っているのではない。ただ少し、彼がいなくなる未来を想像してしまっただけだ。

「……わかりました。蒼角の幸せは、私の幸せですから……この子が決めたことを私は否定しません。けれども浅羽隊員!」

「え、はい!」

「蒼角の負担になるようなことはなるべくしないこと。無理強いは絶対ダメです」

「ああ……はい」

「そして今後のお付き合いの仕方については……二人でよく話し合ってください」

「そりゃもちろん」

「あ、それから入籍届については──」

「待った待った! 月城さん! 入籍って急すぎません!?」

「しないんですか?」

「そうじゃなくて!」

 慌てる悠真と、眼鏡を押し上げて話す柳、二人を交互に見ると蒼角は首を傾げた。

「ニューセキってなに?」

「結婚のことよ」

「結婚!」

 あわわわわ、と蒼角は驚きながらもぽっと頬を赤らめた。結婚というものが自分に関わる言葉だと思っていなかったからだ。そんな蒼角を他所に、柳は悠真へ蒼角のことについて説明している。

「──というわけなので、すぐには入籍は難しいです。ですが、いつかそうできる日が来たら、浅羽隊員にはいち早くお伝えしますね」

「いやー……身も蓋もないこと言いますけど、多分蒼角ちゃんが入籍できる頃には僕はもういないんじゃ……」

「浅羽隊員」

 柳の眼鏡の奥の瞳が、じろりと彼を睨んだ。

「最後に、これだけは守ってください」

「はい?」

「……自分の命を軽く扱わないこと」

「………」

「そのせいで蒼角を悲しませるようなことがあれば、私はお付き合いに反対します」

「はあ、大丈夫ですよ。別に事実を言ってるだけであって僕は軽く扱ってるわけじゃ──」

「浅羽隊員」

「……わーかった、わかりましたって! 僕だって蒼角ちゃんを悲しませるのは嫌ですからね! 冗談でも下手なこと言いませんって」

 悠真は少しバツが悪そうに隣の蒼角を見た。

 蒼角は悠真を見上げ、にこりと笑う。

「──ふぅ、ではこの話はおしまいです。蒼角も、いいですか?」

「うん! あ、ナギねえ!」

「何ですか?」

「わたし、これから今までよりもたっっっくさんお勉強するね! お仕事もがんばるよ! いっぱいいっぱい成長して、ナギねえみたいに頼れるお姉さんになるから!」

 そう言うと蒼角は、ぎゅっと柳に抱き着いた。すりすりとする蒼角に、柳は今度こそ頭を撫でてあげる。

「……そうですね。蒼角もいつか、お姉さんになるんですよね」

「うん!」

「蒼角はずっとこのまま、なんて、もしかすると私は思っていたのかもしれません。傲慢(ごうまん)ですよね。蒼角は今も毎日成長を続けてるというのに……」

「?」

 柳の両腕が、蒼角の身体をぎゅっと抱きしめた。

 蒼角は嬉しそうに頬を緩ませる。

「──成長しなきゃいけないのは私の方、ですね」

 柳の言葉に、それまで静かに聞いていた雅が「仲直り、完了だな」と呟いた。

「柳、蒼角の次は私を抱きしめても良いのだぞ」

「ええっ!? み、雅何を言って……」

「冗談だ」

「冗談?」

「泣きそうな表情をしているように見えたので……な」

 くすっと笑い、雅が席から立ち上がる。

「では皆、行くぞ。我々をホロウの混沌が待っている」

 刀を携えた雅がそう宣言すると、三人ともこくりと頷いた。

 それぞれが準備を済ませ、装備の確認。柳がデスクの上にある本日締め切りの書類を口頭で説明すると、雅は無表情ながらも「書類提出を断る修行だ」などと子どものようなことを言っていた。悠真が薬を飲み、蒼角が朝ごはんの残りを頬張る。それから四人は部屋を後にした。

「よーし出動だ~!」

 蒼角の元気な掛け声で、柳は笑みを浮かべる。また、悠真や雅も同様微笑ましく思いながら外勤へと向かったのだった。

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