***
大きな口を開けた青鬼ちゃんが、がぶりとどら焼きに噛り付いた。頬がもぐもぐと動く様は小動物のよう。ただ、食べる量は大型獣である。そのどら焼きも今や二十個目だ。
「お腹は落ち着いた?」
「うん! おいしーもの食べさせてくれてありがと~! これ、ナギねえがいつもくれるあんぱんに似てるね!」
「あんこが入ってるからね」
空から降ってきた鉄骨を見事キャッチした青鬼ちゃんは突然大きなお腹の音を立ててその場にへたり込んでしまったので、僕は慌てて近くの和菓子屋でどら焼きを大量に買うことになった。今は近くの公園のブランコに座ってそれを食べさせているところ。これで十分だろうと思って買った三十個のどら焼きは、ものの五分で消え去ってしまった。
最後の一口をごくりと飲み込めば、彼女は嬉しそうにブランコを漕ぎ始めた。僕はそれを眺めながら、さっきの言葉を思い出す。
『蒼角のこと嫌い?』
ブランコに揺られ、僕の視界に映っては消える青鬼の少女。
僕よりも長い長い時間を生きている彼女。
それなのに、浮かべるのは何も知らない無垢な表情ばかり。
「……ごめんね」
「え?」
キィ、と音を立ててブランコが止まった。彼女が僕を真っ直ぐに見つめている。
「君のこと、嫌いなわけじゃないんだよ」
「そうなの?」
「そうだよ。ただちょっと……大人げないことした」
「オトナゲナイ?」
首を傾げている。本当に意味がわからないんだろう。だからこそこの子はまだまだ幼いということが理解できる。ただそれは……理解するのが人より遅いということではないかもしれない。少しずつ知識をつけていけば、この大人ばかりの環境で、きっと目まぐるしく成長していくことも考えられるんだ。だから、僕は言葉を選ばなければいけないと思った。
「君が初めて六課に来た時……僕はびっくりしたんだよ。だって君くらいの子はどう見たって子どもでね、それは、ホロウの脅威と直接対峙する僕たち執行官が“守るべき者”だから。君たちのような幼い子たちの未来を潰さないようにするために、僕らがいるんだよ。だからね……子どもにこんなことさせるなんて、って思ったんだ。純粋に心配だったわけ」
「そっかぁ……蒼角はまだこども、だもんね」
「うん、君は小さいし、世の中をまだまだ知らなさすぎる。……でも僕よりも年上だし、強い力があることももちろん知ってる。だから、ちゃんと認めなきゃいけないんだよな。あーあ、こんな小さい子にあんな顔させちゃうなんて、ほんと、大人失格だ」
「あんな顔?」
「寂しそうな顔だよ。さっきしてたでしょ? ごめんね」
「ううん! えーっと、さみしいのは……さみしかったけど。でもわたし、あなたと仲良くなりたいだけなの!」
「ええ? 僕と?」
「うん! だってあなたは……わたしのこと、全然名前で呼んでくれないでしょ?」
「え……あ」
そうだ。
さっきこの子がいなくなって探そうとした時、咄嗟に出てこないくらいには普段から名前で呼んじゃいない。頑なに呼ぼうとしていなかったのは──まだ、六課の一員として認められなかったからかもしれない。
「そっか、そういえばそうだよねぇ……ほんとごめん」
「い、いいよう! ごめんばっかり! それよりも仲直りしよ!」
「ええ? いやぁ別に僕ら喧嘩してたわけじゃ……」
「えーっ、じゃあこういうのなんて言ったらいーの? 仲良くなかったけど、仲良くなりたいから、えーっとぉ……」
「あー、はは、やっぱ仲直りでいいよ」
僕が肩を竦めてみせると、眉間に皺を寄せていた青鬼ちゃんはぱぁっと顔色を明るくさせた。
「仲直り! それじゃあね、えっと……あなたのこと、おなまえで呼んでもいーい?」
「ん? 名前? そりゃもちろんいいけど」
「やったぁ! じゃあ、ハルマサ!」
急な呼び捨てにきょとんとしてしまう。僕よりもうんと小さな見た目の子にまさか下の名前を呼び捨てにされるとは思わなかったんだ。
「えーっと……そこは、ハルマサくん、とか、さんとかじゃないの?」
「え? で、でもでもハルマサはどーりょーっていうのなんでしょ? ナギねえが言ってたよ! わたしとハルマサはおんなじ……カイキュー? だって! だから、お友達みたいにしていいよね?」
「いやあー……職場だから、お友達とは違うけど……」
「じゃあ、呼んじゃダメなの……?」
潤んだ瞳が僕を見つめる。思わず「うっ」と言葉に詰まってしまった。小さい子を相手にするのは本当に骨が折れる。
「いや、呼んでも、いいです……」
「やったぁ! ハルマサ、ハルマサ!」
「はいはい……」
「ハルマサは、わたしのことなんて呼んでくれるの?」
期待するような目。
しばしの間そのビー玉のように輝く瞳を見つめ、僕は口元を緩ませた。
「蒼角ちゃん、って、呼ぼうかな」
「そーかく、ちゃん?」
「どうかした?」
「えへへ、わたし、“みんな”といた時も、この街に来てからも、蒼角蒼角っていっぱい呼ばれてきたけど……ちゃんって呼ばれるの初めてかも! なんかくすぐったいね!」
「ええっ、くすぐったい?」
「うん、胸のこの辺りがねぇ~、こしょこしょって!」
「ぷっ、はは! そっか。でもきっと僕以外にもそう呼ぶ人はたくさん現れるんじゃないかな」
「それじゃーハルマサが初めての一番!」
「へぇ~、ま、それもいっか」
「ハルマサ!」
ぴょん、とブランコから飛び降りた蒼角ちゃんは──くるりと僕の方を向いて顔を綻ばせた。
「これからいっしょに、お仕事がんばろーね!」
その笑顔を見て、僕もまた笑ってしまう。
「はいはい、ほどほどにね。それじゃ今日のお仕事はこの辺にして、さっさとオフィスに戻ろうか」
「はーい! あ。あそこに焼鳥屋さんがあるよ!? ハルマサー! 見に行こ!」
「ってちょっと急に走り出さないでよ!?」
僕の手を掴んで走り出す蒼角ちゃんのあとを引きずられるように走る。
嬉しそうな彼女の顔が、一瞬僕を振り返った。
ああ、どうやらこの“お守り”は──しばらく継続ってとこかもしれないな。
<了>
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます