***
休暇明け──悠真が「やれやれ今日からまた仕事か」とデスクに着くと『ドン』と音を立てて大量に積み重なった書類が置かれた。それを置いたのは、無表情に眼鏡を押し上げつつ椅子に座る悠真を見下ろしている柳。
「浅羽隊員、体の調子はいかがですか?」
「ひぇっ!? え、あ、はい……ぼちぼちって感じですけど……」
「可もなく不可もなくということでしょうか」
「はあ、そうですかね……」
「ではこちらの資料、期日までに確認と訂正をお願いします」
「期日までに、ってー……」
悠真は一番上の書類に貼られた付箋をちらりと確認する。期日は、明日である。
「い、いやいやいや!? これはちょっとー、何というか、僕一人でやるには多すぎませんかねぇ?」
「いえ、大丈夫だと思いますよ」
「『大丈夫だと思いますよ』!? 嘘でしょう!? 僕なんかしました!?」
「何か?」
ぴくりと反応し、柳は目を細める。それから急ににこりと笑ったかと思うと小首をかしげて見せた。
「先日は蒼角を外食に連れて行ってくださり、ありがとうございました。私の帰りが遅くなる時はいつも蒼角を一人で留守番させてしまっていて、心苦しく思っていたところだったんです。ですので浅羽隊員が一緒にいてくださり蒼角も楽しい時間を過ごすことができてほっとしました」
「え? はあ……そりゃまあどういたしまして……?」
「しかしです」
柳はもう一度眼鏡を押し上げ、眉をひそめた。
「しかしですよ、浅羽隊員。何故、ラーメンだったのでしょう。確かにラーメンは美味しいです。ですが蒼角はまだまだ育ち盛り、きちんとした栄養バランスを考えて食事を取らなければいけないんです。私と暮らし始めた当初の彼女は今よりもかなり体が小さかったのですが、私が栄養管理を徹底して様々な料理を食べさせた結果今の彼女はとても健康的に育ってきていると思います。そこへですよ、偏った栄養摂取になりかねないラーメンなど食べさせていては本末転倒でしょう。ああいった食べ物は一度食べるとまた食べたいと歯止めが効かなくなっていきます。ラーメンばかりを食べたがり、家での食事が疎かになっていっては蒼角の為になりません。浅羽隊員、浅羽隊員聞いていますか?」
止まることを知らない柳の口に対して、悠真は閉口し目を瞑っていた。
厄介なことをしてしまったな、と後悔しているのである。
「──ですから浅羽隊員、もしも今後蒼角をまた外食へ連れていくということがあればその時はもっとバランスよく食べられる料理店を調べてから……いえ、私がピックアップしておくのでそこから選んでいただき、なおかつメニューも……浅羽隊員!?」
悠真のその身のこなしは脱兎のごとく、柳の隙をついて六課のオフィスを出ていったのだった。
「僕ちょっとお手洗いいってきまーす!」
「浅羽隊員!!!」
柳の呼ぶ声はもう随分と後ろから聞こえる。悠真は呆れた顔で見てくる職員たちを気にも留めず、廊下を走り続けた。するとちょうど向かい側から蒼角が歩いてくる。
「あ、ハルマサー!」
「おっと蒼角ちゃん。今君のママにとっても怒られたところだからほとぼりが冷めるまで僕はちょっとおでかけしてくるね~」
「怒られた? ハルマサなにかしたの?」
「え? 別になんにも~」
きょとんとしている蒼角に、悠真は「じゃあね」と手を振りまた廊下を駆けていった。
向かったのは、屋上だ。
こんな朝っぱらからサボっている人間など彼以外にいないだろう。悠真は息の上がった肺を整える為、手すりにつかまるとゆっくりと呼吸をした。流れてくる風が心地良い。
「いやー……蒼角ちゃんのママは、やっぱ怖いねぇ~」
彼のひとりごとが、空に向かって放たれる。
「でもまぁそれなら尚更、時々ご飯に連れてってあげないとね。管理されたご飯だけじゃ、やっぱりいつか不満に思っちゃうもの。大体、鬼族なんだから何でも食べられるんじゃないの? 気にせず食べさせてあげればいいのにさ~……って、ああ、だから“ママ”なのか」
悠真の脳裏に今はもう朧気になった『母親』の姿が浮かんだ。
「……ま、せっかく六課に入ってくれた可愛い同僚だからねぇ、僕も僕なりにあの子のお守りをしてあげますよっと」
ごろん、と床に寝そべってみた。コンクリートの冷たさが今は気持ちがいい。少し硬いが、ちょっとくらいなら昼寝できそうだった。悠真は時間を確認して、柳が会議に向かうであろう時刻まで少し目を瞑ることにしたのだった。
「──ポート・エルピスのフライドポテトとか、絶対蒼角ちゃん気に入るだろうな。今度教えてあーげよ」
<了>
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます